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名古屋地方裁判所豊橋支部 昭和31年(ワ)18号 判決 1957年2月01日

原告 福地正生

右代理人弁護士 又平俊一郎

被告 愛知日産自動車株式会社

右代表者 広瀬留吉

右代理人弁護士 星野国次郎

主文

一、被告から原告に対する名古屋法務局所属公証人田中貞吉作成第四万三千六百十四号自動車月賦販売契約公正証書の執行力ある正本に基く別紙目録記載物件に対する強制執行は許さない。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、本件につき発した(昭和三一年(モ)第九号)強制執行停止決定を認可する。

四、前項に限り仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決を求めその請求の原因として被告は原告に対し主文第一項の執行力ある公正証書正本に基き別紙目録記載の原告所有物件の差押をした。しかしながら原告は被告との間に右公正証書を作成した事実はない。右公正証書が原告名義で作成されるに至つた事情を調査したところ昭和三十年四月頃訴外宮瀬定毅が原告に対し同人が自動車運送営業をやるのについて自家用車名義にした方が都合がよいので原告の紡績業自家用車として登録できるよう名義を貸して欲しいと頼まれてこれを承諾して同人に原告の印章と印鑑証明書を渡したことがあつた。そして宮瀬と被告会社の使用人が共謀して勝手に委任状用紙に原告の印章を押捺しこれを利用して本件公正証書を作成したことが判明した。このように原告の意思に基かず作成された公正証書による被告の請求は不当であり且その強制執行は許さるべきものではない。よつて本訴に及ぶと述べ立証として甲第一号証(公正証書正本)及び甲第二号証乃至甲第十二号証を提出し証人宮瀬定毅の証言を援用し且原告本人の尋問を求めた。

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求めその答弁として被告が主文第一項表示の執行力ある公正証書正本に基き原告主張のとおり強制執行をしたことは認める。しかし右公正証書は原被告間に適法に作成されたものであるから原告のその余の主張を争うと述べ乙第一号証(昭和三十年三月二十五日付自動車月賦販売契約書)を提出し証人鈴木利昭、同佐藤隣治の証言を援用した。

理由

被告が主文第一項表示の執行力ある公正証書正本に基き別紙目録記載の原告所有物件に対し強制執行をしたことは当事者間に争いがない。

原告は右公正証書は原告の意思に基かず作成されたものであつて何等原告の関知しないところであるからこの公正証書に基く被告の請求は失当であり且つその強制執行は許さるべきものではないと主張する。

そこで証拠関係を検討すると先づ成立に争のない甲第一号証によれば本件執行力ある公正証書は昭和三十年四月二十六日名古屋市東区葵町十四番地の一公証人田中貞吉役場において同公証人の面前に被告会社代理人名古屋市中区大池町四丁目一番地の二岡田興雄と買主である原告とその保証人宮瀬定毅、同石原秀康の三名の代理人名古屋市中区大池町四丁目一番地の二鬼頭俊明の両代理人が出頭して陳述した事項を録取して作成せられたこと、右両代理人は田中公証人がその氏名を知り且面識があること。右原告外二名の代理人鬼頭俊明の提出した委任状は私署証書であつて添付の印鑑証明書によつて公証人が真正に成立したものと認めたものであること。その本文第一条乃至第二十四条には被告を甲とし原告を乙として甲より乙に対するいすず号一九五一年式普通四輪貨物自動車売買契約についての条項が記載せられ第二十五条において乙および乙の連帯保証人は本契約に因る金銭債務を弁済しないときは直に強制執行を受けても異議のないことを認諾するとの各記載があることが認められる。従つて右鬼頭俊明が原告より適法にその代理権を付与されていれば右公正証書は法定の要件を具備したものとして公証人法第二条民事訴訟法第五百五十九条第三号により執行力を付与せられるものというべく若し代理権付与の事実がなければ執行力を否定する他ないことになる。よつて進んで右甲第一号証と原告がその名下の印章の成立を認めるのでその他の部分も一応真正に成立したものと推認する乙第一号証と証人宮瀬定毅、同鈴木利昭、同佐藤隣治の各証言および当事者尋問における原告本人の供述を綜合して考えてみると次の事実が認定される。

(イ)訴外宮瀬は昭和三十年三月下旬被告会社豊橋支店からいすず号一九五一年型貨物自動車一台を代金七十万円で買受ける契約をしてその代金支払方法は頭金十万円を支払いその余は百円につき日歩四銭の利息を加算して十ヶ月月賦払とすることを約束した。しかし宮瀬は自家用車として自動車登録を受ける都合上紡績業を営む原告の名義を借りて置いた方がよいと考え原告に詳しい事情を打明けずに車籍登録のためと称して印章及び印鑑証明書の交付を受けこれを利用して原告買主名義の乙第一号証を作成したこと。

(ロ)被告会社においては豊橋支店より乙第一号証を受入れそれに附属していた委任状用紙に原告の捺印のあるものを利用して通例のごとく被告会社社員鬼頭を原告の代理人として名古屋合同公証役場に出頭せしめ本件公正証書を作成したこと。

(ハ)原告は公正証書作成について何等宮瀬より申出を受けず従つて前記第二十五条の執行受諾文言に付宮瀬又は訴外鬼頭に代理権を授けた事実はないこと。

そうすれば原告が軽卒にも宮瀬の申出を容れ同人に印章と印鑑証明書を交付したことにより本件乙第一号証が成立し更にこれに基き甲第一号証公正証書が作成されたのであるから私法上の契約としては宮瀬の代理行為につきある程度の民法上の責任を生ずる場合も考えられるが公正証書に記載される執行受諾文言は訴訟行為であつて民事上の無権代理の観念を容れる余地はないから甲第一号証第二十五条の記載は公証人法第二条により無効という他なくこれを有効として昭和三十年十二月二十二日田中公証人が被告に付与した執行文は違法である。

元来民事上の強制執行は民事訴訟法の規定により裁判所が発する執行力ある裁判又は調書正本に基く場合において許されるものであつてその他に債務者が公証人の面前において執行受諾を明言しそれが公正証書に適法に記載された場合に限り唯一の例外として裁判所職員でない公証人に執行文付与の権限を認めこれに基く執行を許す制度が設けられているのである。従つて裁判所において判決又は和解に当事者の出頭を前提とすると同様に公証人の場合には債務者又は執行受諾文言につき明白に代理権を付与された代理人が公証人の面前において執行受諾を陳述した事実が認められぬ限り公正証書正本の執行力は発生しないのは当然である。然るに、最近執行異議訴訟事件において問題となる公正証書の内容を見ると本件公正証書のごとくほとんどその全文が印刷字句でしかも債務者代理人と称するものが債権者の職員その他の使用人であり公証人がすでに氏名を知り且面識ありその住所氏名も全部印刷済のいわゆる債権者専属の常設代理人である。このように公証人がその代理人と面識がありその立場も明らかに知つている場合には少くとも委任状に執行受諾文言の記載があるだけではなく本人の自署があることを確認する程度の取扱いはできぬものであろうか。従つて本件のごとく債務者本人から預つた印章を他人が委任状に押捺したような場合には前記のような甲第一号証公正証書の作成形式と対照して同証書に原告代理人と表示されている被告会社使用人の鬼頭という人はどちらの方面から観察しても原告のために執行受諾文言を公証人に対し陳述する代理権を原告から付与されていたと認めるに足らぬといわねばならぬ。(なお公正証書に記載する執行受諾文言陳述の代理は訴訟行為の代理として表見代理を認め難いことは大審院以来の判例の存するところである)。

原告の主張は民事訴訟法第五百六十二条第二項第五百四十六条第五百四十五条に因る異議と認められるから現に差押られた物件の執行解除に限定せず執行力ある正本自体の執行力排除を求めるのが正しいわけであるが主文において原告の請求を超えて執行排除の宣言をすることはできぬからその申立の限度において原告の請求を正当として認容し訴訟費用について民事訴訟法第八十九条強制執行停止決定の認可および仮執行宣言について同法第五百四十八条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 片桐孝之助)

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